心理セラピーと宗教からの解放

心理セラピーで思い込みやコンプレックスを外してスッキリ

プロの技で苦を苦と知るのは気持ちいい

セラピーを習い身につけるまで

言い負ける自分の価値の無さに

酷く苛まれ落ち込んでいた。

 

次、立ち上がる時は

命を落とすことになろうとも

言い勝っていかなければならない。

 

そういう覚悟をもって

2015年に開始した戦いがあった。

 

創価学会から切られることは恐ろしいことだと

皆、心に植え付けられていた。

 

だが、一歩一歩機運は高まり

リアルに連絡を取り合うものも出て来ていた。

 

「命を落とすことになろうとも」というのは

大げさに聞こえるかもしれないが

 

私が経験した00年代の活動の中で

二人の人間が命を落としていたし

 

14年以降の戦いで

査問の後遺症を患っていた友岡さんが亡くなった。

 

私は友岡さんの遺言ともなったメッセージ

「妙法の万葉集」友岡雅弥氏の証言編)を

生で聞くという貴重な体験をした。

 

人を死へ追いやりかねない

そういう体質への抗議運動だ

 

池田先生は、少なくともまじめな会員の

生命や人権、魂を大切にする方であった。

(仏敵への攻撃指示などはあったのだと思う) 

 

しかし池田先生お一人では

もはやどうしようもない創価の歪みがあった。

 

池田先生の作った信頼を

創価のバカ貴族たちは捻じ曲げて利用する。

 

さてしかし、冷静に見るのだ。

 

「だから池田先生が正しい」と言っても

「本当の日蓮仏法に帰れ」と言っても

 

それでいつ何が解決して苦しみが消える日が来るだろうか。

 

しかし私は冷静ではなかった。

 

随分と強弁をふるって業を積んだ。

 

学ぶところも多かったし

後悔はしていないけどね。

 

「法華折伏破権門理」(他宗派はすべて邪宗として言い負かせ)

「無疑日信」(一切疑わず信じろ)

室町時代に作られた偽書に多く登場する言葉だ。

 

 

室町時代に作られた偽書創価学会員が好んで使うし

私の好きだった御書も多い。

 

思考停止し、組織を信じて

言われたとおりに相手を打ち滅ぼす。

それは恐ろしいカルトになる。

 

友岡さんが「ボランティアなど聖教新聞社員がしてはいけない」

とかいうむちゃくちゃな理由で、

言語機能に障害が残るほどの査問を受けた。

 

そんな体調不良の中ボランティア先で亡くなった。

 

その他

組織の批判者を尾行したり、嫌がらせをしたり

スラップ訴訟をされている方も実際に知っている。

 

心がすさみ正常な判断ができていないが

その行為ですら、彼らは正義と信じてやっていたりする。

 

裏切り者に制裁を与えたりすることが

本気で世界平和につながっていくものと思っていたりする。

 

創価班の訓練などは、池田先生に忠誠を誓わせるということと

そのためには、どんな汚いことをやることも正義のためなのだ

という理屈にして叩き込まれる。

上が白を黒と言ったら黒、黒をしろと言ったら白。

完全に組織の意のままに動くようにされる。

 

創価学会は大きな組織だ。

毎月、全国で小学校の数より多い個人宅を含む拠点で座談会が開かれる。

 

世界にも192ヵ国地域に会員がいる。

 

これだけ広まっていることを学会員は正しさの証拠の一つとする。

 

そもそもその淵源、戸田先生の時の折伏大行進からし

それは正しかったのかどうか?

 

「大御本尊を信ずる以外にない」として

大石寺教学のカルトを大々的に発動させたのだ。

 

無理な折伏で自殺者が出たという記録もある。

 

戸田の弟子にどれだけまともな人間がいただろうか。

 

盗聴事件、替え玉投票事件、週刊誌への情報横流し

そういう体質は当時からあるのだ。

 

折伏とは何なのか、それは本当に折伏なのか。

 

開目抄には

「邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。」とある。

 

不軽菩薩はどんな相手にも、礼拝をしたのだ。

誰人をも悪としてやっつけていない。

(参照 日蓮宗広済寺 折伏の本当の意味

(参照 WEB版新纂浄土宗大辞典 摂受・折伏

 

それでは日蓮真筆に立ち返ればいいのか?

それとも法華経にまで立ち返るのか?

あるいはスッパニーダへ。

 

ぐるぐると巡る「何が正しいのか?」

 

それがまずもって苦しみである。

怒り憎しみ戦うということは苦しみなのだ。

 

生命の底から苦を苦と知ること(苦諦)

思考の偏重、バイアスが苦を終わらせないでいると知ること(集諦)

非二元のセラピーによって夢から覚めると知ること(滅諦)

 

「苦を苦と知ること」とは

いかにも恐ろしい響きであるが

 

もっとも私はそれを怖がって長年本当に苦しんだのだが

 

プロの技をもってすれば

苦を苦と知ることは気持ちいいのだ。

 

その技において題目は関係ない、

エネルギー心理学の分野の手法が役立つ。

 

四条金吾殿御返事(衆生所有楽御書)

「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて

 南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、

 これあに自受法楽にあらずや」は

 

三宝寺録外の御書となっている。

 

苦しみを乗り越えるのは題目でならなければならず

人生を切り開くのは折伏によらなければならない

 

それが正しいならば

そうして作り出された組織が

 

どうしてこうも「」という煩悩の苦しみに満ちているのか。

 

すべからくそういう苦しみに嵌っている人は

プロの気持ちいい技によって

ただ脱会したり学会批判するだけよりも断然に

生命の底からスッキリする

セラピーを経験してみるべきである。

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