心理セラピーと宗教からの解放

心理セラピーで思い込みやコンプレックスを外してスッキリ

そのセラピーあったら、宗教いらないんでしょ?

【解釈の楽しみ】

自分の解釈にしかすぎないことを
「いや、これは正しいはず、真実のはず」と
それを通そうとすれば

そこには窮屈さや苦しさが
あるかもしれない。

じゃあ虚構の一切に干渉せず
解釈をまったく用いないならば

どんなことが起こるだろうか?

まぁ、そんなことはいいんだ。

物語を読むことを楽しむ。

独創的に深読みをする。

「これは作者の意図とは違うかもしれないけど
こう読んだ方が面白い」

そのスタンスが

「うわ、見事な読み方をするな」

と感嘆させるレベルの人は
それがコンテンツとなる。

例えば髑髏万博(しゃれこうべばんぱく)

https://www.youtube.com/watch?v=-Z9H2ae5dKM&list=PL5wu9XY_klujDIfcWbUqnEWdwbQgu2fgu

例えば岡田斗司夫

https://www.youtube.com/watch?v=unZSPIcgO1M&list=PL1TOJRTrkimJw91Iy5LUfC5I-RO6e1KUW

そんじょそこらの考察とかとは
一味違うと思うのだが

どうだろうか?

今回、自分で小説を書いた身としては
そこまで深読みされたとしたら

有難いだろうと思う。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B09FSCFQT8


この小説、誰がどんな風に読んでくれるだろうか?

「この本の初版はね、『はじめに』のしょっぱな
シリアスな、そこ間違っちゃいけないって所で誤字があるんだよ。

この作者、大義名分を掲げようとしてるけど
実はそこには、そこまで思い入れ無いんじゃないかな?

というか本編がすごすぎて
大義名分が薄らいでるんじゃないかな?

そのセラピーあったら、宗教いらないんでしょ?って。

本編はね、読みにくい分かりにくい箇所は実際多い。

けど本当に意味分かったらこれすごいよ。

普通仏教だと、煩悩とか我見とか
抑制する方向か薪とする方向かなんだけど

ただありのままに開いていく。

確かに書かれている理屈からすると
抑制したり薪としたりするより

開いて解体する方がスムーズだろうと思える。

もしかしたら
色即是空、空即是色まで

ストンと、あ、そういうことなんだって
分かるかもしれない。

そういう内容でありながら、
ちゃんとストーリーがある。

難点としては、登場人物が
明らかにある特定の宗教をしていて

それだけで嫌悪感を抱く人がいるかもしれないことと

笑えるかもしれないけど
ちょっとふざけすぎだろうという内容もあることかな?

まぁ、好きな人は好きだと思う。

セラピーや悟りみたいなものの理解が難しい分
ストーリーはシンプルになっていて

内容の割にはすごく読みやすいと思います。

ストーリーはシンプルだからこそ
そういう特殊な経験が重なるのなら
泣けるかもはしれないけど

面白く感じるかは
ちょいちょい入るギャグのセンスが合うかも関連する。

でもそれ以上に、すごい何かが書かれていて
読んだら、すごい何かが起こるんだよ。

シン・エヴァンゲリオン劇場版 :‖見ましたか?

何かそれぐらいの
25年分の何かの完結を味わうような

そういうものがあります。

それは因果の終極なんだって書いてありますね。

仏教の新解釈でもあり
セラピーの新解釈でもあるようなので

わりと攻めてる本だと思います。

人生に役立つ新しい視点を
実際に手に入れられる可能性も
充分にある本です」

「この記事は役に立ちましたか?」