心理セラピーと宗教からの解放

心理セラピーで思い込みやコンプレックスを外してスッキリ

セラピーでインナーチャイルドを癒す

実際のセッションでは

インナーチャイルドを癒す」

という形になりやすいですね。

 

苦しみというのは

五感六感に受ける何かに対して

「反応」しているから苦しいんですね。

 

つねられたら痛い

その痛さに反応する

 

焼きたてのものを口に入れたら熱い

その熱さに反応する

 

暗い所からいきなり太陽の下に出たら眩しい

その眩しさに反応する

 

大きな音がしたらうるさい

音の大きさに反応する

 

人間には感覚器官があり

刺激を受ける器なんですね。

 

つねる指、熱い食べ物、太陽の光、大きな音

それらは縁です

 

その縁に対してどんな反応をするのか

 

つねられたら何するんだって怒ったり嫌な気分になる

当たり前じゃないの

 

っていう風に、自分では当たり前になっているんだけど

 

遭難した雪山で眠ったら死ぬってときだったら

ありがとうかもしれない。

 

それは極端な例かもしれないけれども

反応っていうのは

その縁が自分にとって

どんな意味があるかによって変わってくる。

 

それをどんな意味として受け取りどう反応するかというのは

それは自分の側に原因がある。

 

え~雪山でそうなんだったら環境でしょ、自分じゃないじゃん

って思いますか?

 

もし、死にたくてわざわざ雪山で凍えてるんだとしたら?

死のうとしてんのになに起こしてんだよこのやろう

って思うかもしれない。

 

死にたくないって思ってるから

意識を保たせてくれてありがとうってなる。

 

縁はきっかけであって

反応の原因と結果は自分にある。

 

人は生きていくうえで瞬間瞬間

自分でも気づけないほど思うよりずっとたくさんの反応をしている。

 

その中でも感情を突き動かされるものに

大きな反応が巻き起こる。

 

例えば怒りに巻き込まれたら周囲が見えなくなる。

 

そういった平静さを失わせるようなものを仏法では煩悩という。

 

平静にあるがままに向き合えることが

正念、正定、正見につながる。

 

ここで、じゃあ煩悩があっちゃいけないんだと

否定して捨てようとするのは

 

それはあるがままを見ずあるがままを否定している。

 

ああ、こんな煩悩があるんだな、と

あるということをそのまま認めそのまま見ていく。

 

私たちは人の

言葉や態度や表情や雰囲気やしぐさやルックスなど

様々なものに好き嫌い激しく反応するし

人の関わらないものでも

広場恐怖症、先端恐怖症、集合体恐怖症、片栗粉恐怖症など

どうしても生理的に反応することもあるし

気分障害睡眠障害摂食障害、幻覚、妄想、吃音、味覚障害など

様々な症状、反応が出たりする。

 

恐怖症その他、精神疾患に分類されるものは

絶対にプロに見てもらった方が良い。

 

精神疾患以外に思うことでも

ああでもないこうでもないと悩むのなら

一度プロに見てもらうというのはどういうものなのか

経験しておいた方が良いが

 

普段、日常の中で、心のメンテをするようなときには

朝、ノートに、誰にも見せない前提で、制限をかけずに思いや感情を書き出す

書き終わったら客観的に変な思い込みをしていないか見てみる。

 

そういう方法をお勧めする。

 

カウンセリングやセラピーといっても色々あり

どれが本当に良いとも言わないけれども

 

どんな縁に対して

どんな因がどんな風に反応しているのだろうか?

 

因というものはその人その人の中にあるものだから

 

心の仕組みはこうだから、この反応の原因はこれですよ、と

一発で言えるものではない。

 

人は何か思い通りにいかないとき

あれのせいだ、こいつが悪い、と反応する。

 

見たくない、触れたくない自分を守ったりして

外の出来事に投影している。

 

セラピストは普段向き合えないその自分と

安全に対話できる場を作る。

 

そこには、見ないように蓋をし、抑圧してきた思いがある。

それが苦しい反応を起こしていたりする。

 

あるものを無いって言って蓋をするのはそれだけ苦しい。

 

インナーワールドでどう対話していくのか。

何を見ていけばいいのか。

 

それは本当にケースバイケースになるので

プロのサポートが必要である。

 

だがインナーワールドがない人

インナーワールドに何一つ抑圧していない人はいない。

 

やれば何かしらがスッキリする。

 

絶対そこというわけではないが

セッションの後半に幼少の頃の親子関係に行き着くことが多い。

 

三つ子の魂百までという言葉もあるように

反応パターンのベースは幼少の頃に大枠が出来上がっていたりする。

 

例えば気づかないうちに

「世界は危険だ」とか「自分は弱い」とか

そういう世界を生き続けていたら

常にリラックスできないでいるので

 

それが解きほぐれるということは

今ここにいるということからすでに楽になるし

 

身体を緊張させていた反応も解けるので

一目瞭然なほど結構もよくなり表情も明るくなる。

 

その変化に、数々立ち会わせていただいている

これほどのありがたさはない。

 

なにか反応があるということは

善縁や悪縁という縁の違いもあるかもしれないが

自分の側にもその反応がその反応である原因がある

その原因はインナーワールドの中で

インナーチャイルド等として現れ

対話をすること等によって解きほぐしていける。

 

そして間違っていけないのは

「反応が起こることは悪いこ」ではないということだ。

 

やりたいことはやりたい

嫌なことは嫌

怒る時は怒る

笑う時は笑う

 

ナチュラルに輝いていければいい。

 

セッションではみなさん見違える笑顔になります。

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